『京都:③「風神雷神屏風図」えっ?これが? 屏風の大きさ・配置の謎』コロコロさんの日記

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この記事はコロコロのアート見て歩記&調べ歩記にリライトして移動しました。

  ⇒ ■《風神雷神図屏風》(琳派 京を彩る) えっ?これ? 屏風の大きさ・配置の謎

写真なども加え追記しておりますので合わせて御覧いただけましたら幸いです)
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3点の「風神雷神屏風図」が展示されているブースは
コの字型に配されています。
順路の動線にそっていくと、最初に目に入る右側は尾形光琳。
ブースの入口部分にあたり、そこは長蛇の大行列が連なります。

係の方が案内されていて、「奥のすいているところからご覧下さい」と。
それに従い、奥にすすむと、
左側の酒井抱一作品、それとともに、3つの風神雷神屏風が
目に飛び込んできました。


えっ・・・・・・



この「えっ!」は驚きの「えっ!」でしょうか。
あれ?を意味する「えっ?」なのでしょうか・・・・

あまりにも有名な作品、名前だけは耳にしひとり歩き、
絵も至るところで目にできた作品。
その絵は、拡大された状態で見ているため、
作品のスケール感なんて全く無視された画像を、
見せられてきたことになります。

そのため、本物を見た時の第一印象が、
ああ・・・・・_| ̄|○ ガクッ という状態・・・


   小さっ!  色薄っ!・・・・


もっと大きいと思ってました。
そして色鮮やかに印刷された図譜やインターネットの
風神雷神に見慣れすぎていて、
本物はこんな色だったとは?!(笑)

あの日光の三猿「見ざる・言わざる・聞かざる」を見た時のような・・・・
そうそう札幌の時計台を初めて見た時のような落胆・・・・・

ちっちゃい・・・  イメージしていたものと違う・・・・
そんな感覚に一瞬、襲われました。

しかし、いやいやそんなことを思っちゃいけない。
これは、貴重な展示なんだと心の中で、
その気持ちを抑え込もうとしています。


ところが、周辺でも
「ちっちゃいんだ・・・  色、薄いねぇ・・・・」
とささやく声が、ここでも、あそこでも・・・・

やっぱりみんな感じることは同じ(笑)


しかし、気を取り直して見ていきます。



■3者の予備知識

400年前:俵屋宗達 国宝    建仁寺・・・・下界を観る目 はみ出す
300年前:尾形光琳 重要文化財 京国立博物館・・・目を合わせる
200年前:酒井抱一 *     出光美術館・・・見つめ合う

行きの新幹線の中で、
「全然、予習してくることできなかったんですよね。
 それぞれの特徴もうろ覚えだし・・・」
簡略的に教えていただきなら、
なんとなく美の巨人たちで放送されたうろ覚えの知識と照らしていました。

「いいんじゃない? いつものコロコロさんらしい、
 人とは違うところを直感的に捉えていけば・・・」

作品を前にして、どれが誰の作品であるかを、
その知識にトレースして・・・・



■抱一風神雷神
抱一の風神雷神は、明らかに他とは違っていて、
格の違いまでも感じさせられるほどでした。

一番、新しい作品ということもあり、色も鮮やか。
そしてユーモラスな風神雷神は軽やかで、ある意味薄っぺらい感じも・・・
まるで漫画チック。
浮世絵が瓦版、現代のゴシップ誌だった感覚にも通じるような・・・
書き手の天真爛漫さがうかがえるような気がしました。

あとでわかったのですが、抱一は江戸琳派。
なるほど・・・・・ 京都と江戸の重み厚さ、格の違いを、
まざまざと見せつけられた気がしました。

いろいろなブログを見て印象的だった言葉。

琳派 京を彩る(2回目) より
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以前、たぶん大学の美術の先生からだったと思うんですが「コピーにコピーを重ねていくとどんどん平面的になります。抱一の『風神雷神』なんてペラペラですよ」
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なんだかその意味がとてもわかった気が・・・・

そして、宗達は、三十三間堂の木彫りの風神雷神を見て描いたということが、
どこかで書かれていたと思うのですが、
立体をモチーフに描かれたものに対して、平面の絵を模写したもの。
確かに、どんどん薄っぺらくなっていくのもわかる気がします。

また、抱一は、宗達の風神雷神を知らず、
光琳をお手本にして描いたということも、
絵の厚み、醸し出す重厚感の違いとなったと思われますが、
個人のキャラクターが、画面いっぱいに出ている気がしました。

事前情報の影響もあると思いますが、抱一は自由闊達、天真爛漫。
オマージュしながら、模写をしているけども、
描いているうちに、そんなことは、どうでもよくなって、
自分自身が楽しんで没頭してしまった感じ。
おおらかな自由人・・・・ そんな気がしました。
一方、友人は繊細な印象だったと・・・・・

えっ? 繊細? 全くそんな印象は受けませんでした。
きっちり描かれた輪郭。
時代が新しいため、くっきりラインが残っているせいもあるけど、
そこをしっかり描いているところに繊細さを感じたのだと・・・

人の感じ方って面白いです。
一人ではなく、友人とでかけるおもしろさはこういうところにあります。



■宗達の風神雷神
そして中央の風神雷神・・・
作品の製作の順番からすると、これは尾形光琳の作品。
ところが、風神雷神が、画角からはずれている。
画角から外れて描いたのは、宗達のはずなのに・・・・

あれれ・・・・・

てっきり時代順に並んでいるものとばかり思って見ていたので、
その展示順に不意をつかれた感じ。
頭の中で、何度も何度も、これは最初に描いた「宗達の風神雷神なんだ」と、
変換しながら観ることに・・・・

一緒に行った友人も同じことを言ってました。
時代順に並べて欲しい。
琳派400年の歴史。その100年ごとの流れを、順番に見ていきたい
その順番を変えられれてしまうと、
頭の中が混乱して変換作業が必要となり、負荷がかかってしまうんです(笑)
自然な流れとして観ることができませんでした。

宗達は、国宝。建仁寺蔵で京都国立博物館に寄託
光琳は、重要文化財で、東京国立博物館蔵。
抱一は、何もないそう。

作品のクォリティー、重要度からからしても、
宗達がこれらの中心的存在であることは明らか。

また、ここ京都のお膝元での開催。
京都という地は、1000年の都を遷都されて、
中心を江戸に持っていかれてしまった無念をかかえていると、
実しやかに囁かれる土地柄。
よそから来た、東京もんの光琳作品を、
メインになんて置いてやるものか・・・・
なんて、気持ちだってあったのでは? と穿って捉えてみたり(笑)

やはり私淑として受け継がれたという琳派ならでは特徴を、
時代の流れの配列の中で見たいと思ったのでした。




■空間の広がりの違い
「宗達」と「光琳」
両者が90度に並ぶ空間に挟まれて双方の屏風を観ると
それぞれの「風神」と「雷神」の間、
空間感覚が全く違うことに気づかされます。
それは、構図が違うという大きな要因があるのですが、
それをさしい引いても、その「間」の広がりに大きな違いがあるのです。

混雑しているため、その感覚は近距離からしか捉えることができませんでした。
もっと、引いたところから、両者を見たかったと感じさせられます。

そして、屏風は立体であること。
これまで高島屋で行われた琳派展を何度か見て思ったのですが、
立体で観る絵と、図録やインターネットの平面で観なれた絵とでは、
受け取る感覚が、全く別ものになること。

「宗達」「光琳」の屏風を前にして感じた空間感覚の違いを
もどってから確認しようとしたのですが、
平面となった図からは、あの場所で感じた感覚の再現はできないのです。

屏風というものは、平面なのではなく、折れ曲がっていること。
この折れ曲がりが曲者で、絵の印象を大きく変えること。

   ⇒③琳派400年 細見美術館:第2章 花咲く琳派  光琳・乾山と上方の絵師 (2015/05/12)より

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屏風の飾り方の基本的なこともわからず、
逆の折り方で飾った状態をイメージして理解してしまったのですが、
平面で見るのと、屏風として飾られるのとでは、明らかに違うこと
美術館で見るというのは、こうした立体としてとらえることで、
見え方が変わるということがあることを、改めて知る機会となりました。
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■屏風は同じ大きさなの?
この屏風、果たして同じ大きさなのか・・・・
構図のせいもあって、同じ大きさには見えませんでした。
風神、雷神をはみ出して描いた宗達。全て画角の中に納めた光琳と抱一。
同じ大きさの屏風に描いたのに、違う大きさに見えてしまう。
これが、構図の妙なんだ・・・と勝手に解釈して戻りました。

構図によって、屏風の大きさまで、違いを感じさせる効果がある。
それは並べてみることによって明確に感じることができる。
と思いながら帰ってきたのですが、
調べてみると、それぞれの屏風の大きさは違っていました。
どこかで、サイズについて触れらているのを見たのですが、失念・・・・

(婦人画報の特集記事で見たようです)


サイズを比べてみると・・・・

俵屋宗達   154.5×169.8 cm  
尾形光琳   166.0×183.0cm   縦・横 約10cmちょい大きい
酒井抱一   170.7×170.2cm   ほぼ正方形

実際に感じた大きさと逆転現象がおきていました。
宗達の「風神」と「雷神」の間は、
果てしなく広がっているように感じられ、
それとともに、屏風が大きく感じさせられていました。

そして光琳は、同じ大きさの屏風に、
風神と雷神ともに押し込めてしまったわけだから、
お互いの距離も近いし、屏風も小さく見えている。
でも、同じ大きさの屏風なんだ・・・・
と思っていたのに、実際は光琳の屏風の方が大きいのです。

そしてどうも気になったのが、宗達の二曲一双の屏風を
他の屏風とは違い、離して展示されていたことでした。

何で、同じように近づけて展示しないんだろう。
宗達の屏風だけ、左右の間隔を広げて設置してる・・・
何か意味や意図があるのでしょうか。

きっと、他の2作品とは別格、特別、差別化をしたいという
意図の現れ?・・・・って、初見の時には、思っていました。

実際、どんな展示だったのか探してみると、
京都新聞に写真が掲載されていました。

  ⇒風神雷神、75年ぶり3組そろう 京都国立博、27日から公開

情報がなくなる可能性もあるので、京都新聞で紹介されている様子が、
こちらのブログでも紹介。
  ⇒風神雷神 3派並ぶ

展示の様子の写真を見ると、三者の屏風の間隔が違うことが明かです。
やっぱり、どこか宗達を特別扱いしていると
私は感じてしまうのですが・・・・(笑)
そして、こんなに屏風の間隔を開けられたら、
宗達屏風が大きく感じてしまのは、当然じゃない・・・・・って


京都国立博物館のHPの風神雷神図屏風 の解説は次のように書かれていました。
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ここに貼りつめられた金箔は、描かれる物象の形を際立たせ、金自体が本然的にもっている装飾的効果として働いている。そればかりではなく、この屏風においては、金箔の部分は無限の奥行をもつある濃密な空間に変質しているのである。つまり、この金箔は、単なる装飾であることを越えて無限空間のただなかに現れた鬼神を描くという表現意識を裏打ちするものとして、明確な存在理由をもっている。傑作と呼ばれるゆえんがここにある。
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上記の解説に、とても納得しました。
金箔使いが、どこか他の作品と違う。
そして、空間の広がり方が与える印象も違う。

宗達の風神と雷神の間は、無限の広がりを感じさせられました。

しかし、なんとなく気になっていた屏風の飾り方。
あとで考えるとあえて、宗達の屏風は左右のをわざわざ、
離して展示しているように感じたことが、
影響していたかもしれません。

ひょっとしたら、この解説をより、確固たるものとして
他と差別化して明確に伝えたいという意図が働いて、
左右の屏風の間隔を、必要以上に開けて展示しちゃったとか・・・・(笑)

屏風を飾る時の、お作法、あるいは左右の屏風の
間隔などの決まりはあるのでしょうか?
そのあたりを調べてみるのは、今後の課題・・・・


【ミニ知識】
◆屏風の数え方
・「曲」:屏風を折りたたんだ時の面を数える単位
・「隻」:屏風を数える単位が
・「双」:二隻一組の対(つい)になっている屏風を数える単位
    (対になった屏風の片方を数える時は「半双」=「一隻」)

「二曲一双」は、二枚に折りたたむことができる屏風2組
「六曲一双」は、六枚に折りたたむことのできる屏風2組を、
「六曲一隻」は、六枚に折りたたむことのできる屏風1組をさす。


   ⇒「屏風の数え方って?」が図解されていてわかりやすい。




■はみだしについて
よく言われるのは、画面に納めずに、はみ出すことで、
その先の広がりを感じさせる・・・
宗達の風神雷神の特徴として語られ、素晴らしさとして紹介されます。


しかし、そんなこと、みんなやってきたことじゃないの?
宗達だけじゃないでしょ・・・
水墨画だってそうだし、北斎や広重だってそんな構図で、
いっぱい描いているし・・・
日本画ってそういう、限られた空間をいかにして
無限の広がりを感じさせるか・・・
ってことを模索してきたものじゃないの?
今更、そんなことで、宗達はすごいって言われても、
誰もがやってることじゃない・・・・

というのが、今年前半に琳派の話を聞いて思っていたこと。


   ⇒○尾形光琳 『紅白梅図屏風』って何がすごいの? (2015/05/22)

     梅の枝をはみ出させて、梅の大きさを感じさせる。
     そんなこと、みんなやってるのに、
     なんですごいのかわからなかったあの日(笑)


ところが、私がこれまで見てきたのは、絵画の断片だったのでした。
歴史的な流れを一切無視して、目にとまった作品について、
知った知識の断片にすぎなかったのです。

絵画、アートには、時代の流れというものがあるということ。
画角をはみ出して、壮大さを演出。
それを最初に試みたのが宗達だったということなのでしょうか?
その前にそういう構図で描いた人はいなかったのでしょうか・・・


■構図について
光琳:風神・雷神を全体像が画面に入るように配置。
   枠を意識しそこに綺麗に収まるよう計算

宗達:屏風の外に広がる空間を意識

それによって、片隻だけ見ると、光琳の方が構図的には
まとまっているという意見がある。


両者の風神、雷神の大きさは同じ。
屏風のサイズは、光琳が少しだけ大きいため、
光琳の風神雷神は、小さく見えるはずなのですが・・・・

私には、風神雷神の大きさよりも、
その間隔の大小の方が強く印象に残りました。
さらに、それによる、屏風サイズの違い・・・・

それは、実際のサイズと見え方が逆転したという・・・・

「宗達」vs「光琳」  どっちが好き? 問題(笑)
「宗達の画のほうが迫力がある」という観覧者が多いそう。
友人も、宗達が好き・・・・と。

私も宗達かな。
やはり、「画角をはみ出すことで、無限の広がり」
という「言葉」に惹かれる部分が多いです。

そして、雷神、雷様といえば、
背中に背負った雷太鼓がなんといってもトレードマーク。

ところが、光琳だけ、その雷太鼓の
でんでん太鼓の部分の描きこみが、物足りなく感じたのです。
もしかしたら、何か意図があるのかもしれませんが、

「ちょっと、手抜きしてません? 光琳さん・・・・」
という感じで、雷神のトレードマークは、ちゃんと描きましょうよ。
宗達は、画面をはみ出して、描く数が少なかったけど、
光琳は、全体を入れてしまって、
一つ一つ、描き込むのに、疲れちゃったのかな・・・・とか(笑)

でも、光琳は、このあと、宗達の風神雷神図の構図をもとに、
風神雷神を、紅白の梅にして、光琳の最高傑作といわれる
「紅白梅図屏風」に昇華させたと言われているのですが・・・・

宗達への絶対オマージュ説も、そういう一元的な見方をするから、
解釈を間違うのよ・・・・なんて言われてもいるようです。
という話が後半に・・・・

  (↑ そうだ、そうだと、後押し・・・)



■オリジナリティーって?
はみ出しの構図が、琳派の特徴と言われているようです。
それなのに、光琳はなぜ、はみ出さずに画角の中に
風神雷神を納めたのか・・・

「それは、自分のオリジナリティーを出すために、
 宗達がはみ出すなら、自分は画角の中に納めてみようって
 思ったんだじゃい?」と友人。

しかし、私はそうは思いませんでした。
宗達がはみ出したなら、自分は納めて描こう。
それは、安直すぎるでしょ・・・・?って(笑)

(内心、私だってそれくらい考えることができる・・・・
 というより、私だったら、同じはみ出し技法を用いて、
 自分のオリジナリティーをいかにだそうか・・・
 っていう方向で考えるんだけどな・・・
 考えるだけで、描くことはできませんが 笑 )

だから、光琳にも同じ「はみ出し構図」を用いて、
その中で、さらなるオリジナリティーを持った「はみ出し」を
考えて欲しかった。
そして凡人には考えもつかない、描き方を見せつけて、
私たちを、ハハ~とひれ伏させて欲しいと思ってしまいました。


  人とは違う視点。


その「違う」ということを、どこに求めるのか。
光琳の紅白梅は、宗達の風神雷神へのオマージュとも言われています。
紅白梅では、はみだし技法が用いられていました。

琳派の構図のポイントのひとつが「はみ出し」だといいます。

「琳派 京を彩る」@京都国立博物館♪ - RINPA - より
  ①くり返す 
  ②はみ出す 
  ③余白をおく 
  ④ジグザグに置く 

以上のような構図が、琳派の構図の共通点と言われているようです。
ならば、なおさらのこと、風神龍神をはみ出して描いて、
これが、光琳の風神雷神なり~!
宗達とは違うさらなる高みを見たかったです。


ところが、このような視点で、琳派や光琳の梅が語られていました。
「琳派」の現在――流派概念の限界と「琳派」「RIMPA」の可能性

気になった部分を抜き出します。
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流派概念の限界
>抱一以前の光悦と宗達、そして光琳には、自分たちが琳派に属しているという自覚はなかった。
>粉本継承も運筆継承もない系脈を狩野派などと同等に考えてよいものかとの懸念
>縦の構造を重視する琳派観があまりに強固に成立したため、各々の時代の横へのつながり、コンテクストへの視点を見失わせてきたことへの警鐘

琳派の中には多様な個性が含まれており、それを流派観の強いフィルターを通して眺めた場合、個々の作品が成立した経緯や他の流派に属する作家や作品との関係が見えにくくなる

尾形光琳筆「紅白梅図屏風」は主に同じ琳派の俵屋宗達筆「風神雷神図屏風」との関係から言説が重ねられてきた。しかし、光琳に狩野派学習の経験があった事実は軽視できず、榊原悟が指摘する狩野探幽筆「紅白梅小禽図」(個人蔵)との構図の近似も無視できない

「俵屋宗達は琳派にあらず」「江戸琳派は琳派ではない」など、流派分類をめぐって多様な説が出ており、

>河野元昭が「定義できないのが琳派」と定義する所以である。とはいえ、今後も琳派研究が進んでいくことを考えると、そう判断するのは時期尚早
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後世の人たちが、勝手に「琳派」なんてくくりで、
まとめ上げてしまって、光琳は自分が琳派だなんて思って描いていないし、
まして、自分の名前がひとつの流派のように語られるなんて思ってもいなかた。

あとから、琳派の構図の共通点は・・・なんてあたかもそれらしく
語られるようになってしまったのですが、
描きたいように描いた結果だったのだと。

たまたま知ってしまった、「はみ出し」という琳派に共通していると
言われている構図。
だったら、それで勝負して下さいよ・・・・ 光琳さん
なんて思ってしまったのですが(笑)、
本人は、琳派だなんて意識、全くなったというのは確かにそうだと思います。

学術系のお偉い方たちが、流派観という強いフィルターで作品を眺め、
型にはめ込んで語ろうとしているというのが、
琳派の実態なのかも・・・・と。

なんでも型にはめて、新説を唱えたがる学究畑。
琳派琳派と騒がれてはいるけど、その概念だってまだ新しいわけだし、
正直、琳派を知っている人なんて、そんなに多くはないはず。

琳派という言葉が登場したのは、明治36年(1903)
宗達・光琳・抱一の「風神雷神図屏風」が揃って出品され(どこに?)
「琳派伝説」が創出されたと言います。

そして、現在の「琳派」の名称が定着したのは
1972年東京国立博物館100周年記念 特別展「琳派」からだそう。
それまでは「尾形流」「光悦派」「宗達光琳派」あるいは「光琳派」で、
2004年に東京国立近代美術館で開催された「琳派RIMPA展」で、
現代美術や欧米の作品まで対象を広げて琳派的なるものを探った
という流れのようです。


最初に思ったこと。
世間は、琳派なんて知ってるの?

①琳派400年記念 京都・細見美術館  琳派のきらめき (2015/05/09)

上記の中で調べた結果を、次のように書いていましたが、
その意味が、ここにきてまたさらにわかりました。

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琳派記念祭のHPから  http://www.rimpa400.jp/

「琳派」は、ごく近年になって使われはじめ
今は世間的に定着した言葉のようだといいます。
大正時代に美術史関係の人が創り出した言葉のため、

 (明治36年(1903)宗達・光琳・抱一の「風神雷神図屏風」が揃って
  出品された時、「琳派伝説」が創出
  明治時代は45年までなので、その後、広がったのでしょうか?)

昭和40年代の美術辞書にも解説されていなかったそうで、
一般にはなじみがないとのこと。
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琳派って騒いでいるけど、それをちゃんと理解してわかっている人なんて、
実は、そんなに多くはないのかも。



【参考】2015.11.16
琳派とは本当に存在するのでしょうか
全てあと付けの理論で組み上げられた虚構のようにしか見えません
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編者の分析と整理によって現象をカテゴライズし、それを編集して美術史というものは成り立つので、それを封じて現象の羅列だけしても美術史として成り立ちません。表現者が自ら○○派と名乗らなくても、ある傾向として点在するものを纏めて○○派とカテゴライズすることは仕方が無いことです。そうした編集も永久に正しいということでなく、異なる視点が浮上してくれば又歴史は書き換えられるわけですが。

記述された歴史というのは全て後付けの仮説なんです。
ーーーーーーーーーーー


今回のツアーでこんなことを話されている方が・・・・

「なぜ、このツアー参加したんですか?」という質問に
(みんな琳派に詳しい方ばかりなんだろうなと思っていました。)

「最近、なんだか、琳派、琳派って、騒がしくなって、
 『美の巨人たち』でも連続して放送しているし、
 なんなんだ・・・と思って参加してました」

あの行列の正体の本当のところは、こんなところなのかもしれないな・・・って(笑)

耳にしたあるご夫婦の会話
ご主人「おれ、気づいたんだよ・・・・
    風神雷神の足、どれもはっきり描かれていないんだけど、
    ○○の足だけは、はっきり描かれていたんだよな・・・」
奥さん「それ、他のは色が禿げてただけなんじゃない?」
ご主人「・・・・・・」



行きつけの美容師さんのご主人が横浜美術館の
なんとかという絵画展を見ていて、

「この時代、カタチチが流行ってたんだな・・・」と言ったそうです。
「カタチチ?」
「どの絵も片方のおっぱいを出してたから、それが流行りだったみたい・・・」
  大爆

今回私が気づいたこと
風神、雷神の乳首はひとつ・・・
片方の乳首しか描かれていないのです・・・・

美容師のご主人が、この時代、片乳がはやってたんんだな・・・という
感想をもらして大笑いしたことがあったけど、
私も、風神雷神が、片乳首であることに気づいてしまいました(笑)

片乳首は、忠実に模写をされたということ?
最初のモチーフとなった三十三間堂の風神雷神も片乳首だったのでしょうか?(笑)

こんなことに気づいたのは、きっと私だけ?(笑)
これが着眼点の私のオリジナリティー。

ここは、人とは違う着眼点自慢日記 だから・・・・と悦に入るのでした(笑)



【参考サイト】
いかに生徒の発言の痕跡を残すか

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 鑑賞において、子ども達に願うことは、作品に対して自分の見方ができるようになってほしいということ。美術館に行って、作品ラベルを見て、その作品を知った気になるのではなく作品と向き合い、自分の中で、自分の中に作品の意味を作り出すこと。社会的、歴史的、美術史的な意味はあるかも知れないが、あるいはそれを踏まえた上で、自分の意味(価値)を作り出してほしい。これは、表現と同じ、さまざまな技法を踏まえた上で、自分にしかできないこだわりを活かした表現を目指して、自分にしかできない作品を作り出す。つまり表現でも鑑賞でも新しい価値をいかに作り出すか。それが大切だと思う。
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この記事はコロコロのアート見て歩記&調べ歩記にリライトして移動しました。

  ⇒ ■《風神雷神図屏風》(琳派 京を彩る) えっ?これ? 屏風の大きさ・配置の謎

写真なども加え追記しておりますので合わせて御覧いただけましたら幸いです)
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