三大蕎麦のルーツを探る

三大蕎麦のルーツを探る

江戸時代の中後期には、江戸の町に数えきれない程の蕎麦屋があったと言う。そんな江戸蕎麦の中でも 代々続いている「のれん御三家」は、藪、更科、砂場である。それぞれの蕎麦のルーツと今も残る老舗 を紹介していく

更新日:2015/02/12 (2015/01/26作成)

20013view

このまとめ記事は食べログレビュアーによる5900の口コミを参考にまとめました。

かんだやぶそば

藪蕎麦の由来は諸説いろいろあるが、雑司ヶ谷近くに藪があり、その中の農家で食べさせてくれる蕎麦がうまいと評判で、雑司ヶ谷の名物になり、藪蕎麦と呼ばれるようになったというのが有力だ。1750年ぐらいには美味しい蕎麦の代名詞になっていた

現存する老舗は、神田やぶそば、並木藪蕎麦、池の端藪蕎麦が藪蕎麦御三家だ

神田やぶそばの初代は、堀田七兵衛さん、幕末に藪蕎麦の本拠、団子坂蔦屋の淡路町店を譲り受けてた。明治に団子坂蔦屋の本店が廃業し、藪蕎麦本店の看板を当店が引き継いだ

その三男の堀田勝三が創業したのが浅草にある並木藪蕎麦です、並木藪蕎から昭和29年に暖簾分けされたのが池の端藪蕎麦
もう1軒有名なのが上野藪蕎麦、こちらも明治25年にかんだから暖簾分けしている
神田やぶそばの特徴は、淡い緑色。初代の堀田七兵衛氏が、夏に蕎麦の色を良くして食欲を増進してもらおうと考え出したもの。健康に良いクロレラを少量加えて、この色を出してる。

外1割(そば10、小麦1)は、柔らかいそば、同じく神田の名店まつやが、10割でたまごの白身をつなぎで使い固い蕎麦を打つのと対象的だ。

並木藪蕎麦

かんだやぶそばの初代堀田七兵衛さんの三男堀田勝三さんが大正2年創業、現存する蕎麦店の建屋としては最も古い部類で江戸の粋を体現している東京に残された数少ない店舗。やぶそばの特徴は出汁が濃くて少ないこと、少しだけつけてたべる。落語に一生に一度そばに出汁をたっぷりかけてみたいという口上があるぐらいだ。

並木蕎麦は、やや細めで腰がありのど越しがいいのが特徴だ

並木藪蕎麦

総本家更科堀井 本店

「更科」は、蕎麦の産地である信州更級から1字を頂きお店を出した麻布に屋敷を構えていた保科家から1字を頂き「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」の看板を掲げたの
が最初。
明治10年までは暖簾分けをしておらず、三大蕎麦の中で更科が一番少ない。

更科蕎麦処 布屋太兵衛は、出資した麻布銀行が昭和恐慌で倒産、そのあおりを受けて昭和16年一旦店を閉める。

戦後、更科は永坂更科布屋太兵衛、麻布永坂更科本店、そして総本家更科堀井に分かれる。屋号について裁判も行われてたようだ。

総本家更科堀井は創業者布屋太兵衛を名乗れなくなったが直系の八代目、お店としても更科で一番有名だ。

そばは、更科とせいろ、どちらも外二(そば:小麦粉=10:2)、風味もあるがつるっとのど越しのよい細いそば、更科は美しい程の白、芸術的な蕎麦と言える

大坂屋 砂場 本店

砂場の由来は、大坂城築城に際しての資材置き場のひとつ「砂場」によるものとされる。大阪が発祥のはずだが江戸に進出して江戸で発展していった。砂場のうち、巴町砂場と南千住砂場が現存するお店。ここ砂場本店は明治五年、虎ノ門大坂屋砂場として現在の地に店を構えたお店。

昔の家屋を残した砂場としてはここが一番古い。

砂場の特徴は、四角、太さが揃ったそば、そば自体の極が細かく、藪蕎麦に比べ完成されたそばなような気がする。元々出前が多かったそうで、伸びない蕎麦が特徴だ。江戸そばは、出汁が少ないのが特徴だが、砂場はどっぷりとつけるよう辛くない出汁にしている。やぶに比べ印象がちょっと薄い砂場だが、藪より砂場の方が歴史が古い。老舗の砂場はすばらしい

巴町 砂場

蕎麦の老舗巡り最後は、虎ノ門砂場と同じく、砂場系から巴町砂場を紹介する。江戸時代、明治初期からの流れを組む蕎麦の木鉢会のHPによると、創業は天保10年(1840年、現存する砂場としては、南千住砂場と並び最も古い。

お店はビルに建て替えられ、今はその一階に店を構える。外は少しだけ竹などをあしらい伝統ある老舗の風格をだしている。

ここの名物は、趣味のとろろそば、三代目が考案した物で丁寧にすり鉢ですり、舌ざわりの良いとろろだそうだ

蕎麦の仕上がりは、巴町砂場とよく似ている。太さの揃った四角い断面、二八のせいろと十割の特せいろがある。比較的腰がありやや白い蕎麦は上品な味わいだ

※本記事は、2015/02/12に更新されています。内容、金額、メニュー等が現在と異なる場合がありますので、訪問の際は必ず事前に電話等でご確認ください。

ページの先頭へ